いつものことでまた寄り道 Ⅴ(エネルギティークvsアトミスティーク)

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エネルギティークvsアトミスティーク

この寄り道って

どこまで行くんだろう?

どんどん目的地から

離れていってるような

気がするな

もっとも目的地があるのかどうかも

わからないんだけどね

物質の定義のところで

19世紀後半から

20世紀初頭にかけて

大論争が起こっていたみたいなんだ

(あくまでも物理学界ではだけど)

ぼくは初めて聞いたんだけど

エネルギティークvsアトミスティーク論争

っていうのがあったらしい

字面を見てもよくわかんないけど

エネルギティークっていうのは

日本語だと『エネルギー一元論』って

言われるらしい

科学者たちが目指しているものは

(ぼくの勝手な思い込みだけど)

すべてのものに

適用可能な自然法則を

見つけることだと思うんだ

この世界はどういう成り立ちで

どういう法則で動いているのか?

その根源的な原理を探すために

苦労しているんじゃないのかな

この論争が起こったのも

万物の成り立ちの根本が

エネルギーという力なのか

原子という構造物なのか

ってところの

論争だったんだと思うんだ

もうひとつこの19世紀後半から

20世紀初頭には

未だ原子や分子というものの

存在が確定していなかったっていうのも

あるだろうね

エネルギーにしても

そのことば自体できたのが

19世紀後半だから

確定されたものではなかったけど

なんとかエネルギーの定量的な把握が

可能だというところにまで

こぎつけていたんだ

エネルゲティークというのは

(日本語訳の『エネルギー一元論』だね)

「自然は時空のなかで変化する

一連のエネルギー現象」

ていうのがその根本

エネルギーってものが

運動エネルギーや熱エネルギー

なんてものに形は変わって

発現するけど

もとは一緒のもので

そのエネルギーこそが

モノ(世の中かな?)の

根源なんだっていう説

もうひとつのアトミスティークは

日本語で訳せば

『原子論』って

そのものずばりの言葉になるね

物理的客体(モノとか世界だね)は

究極的には原子で構成されている

という説でいいんじゃないかな

物理学と化学

もう一度書いておくけど

この論争の時点では

原子も分子も

仮定の段階でしか

なかったわけなんだ

もちろんエネルギーの正体も

わかっていなかった

(今でもわかっていないかもしれないけど)

ただエネルギーは

なんとなくあるっていうことは

わかっていたんだね

それにその値も

観測することが出来つつあったってこと

その中での論争が

(仮説対仮説の論争だったのかも)

エネルギティークvsアトミスティーク論争なんだ

エネルゲティークの旗手は

オストヴァルトさん

アトミスティークの旗手は

ボルツマンさん

これはぼくの独断だけど

化学vs物理学の

論争だったのかもしれない

厳密に分けることはできないし

最近ではお互いが融合しちゃって

化学・物理学なんて

分けるほうがおかしい

風潮になっているから

じっさいのところ今では

学校の授業の便宜的分け方でしか

その差異は残っていないように思うけど

自然科学が分かれていった時には

化学は物質そのものの

変化を考える学問で

物理学はモノの法則性を

考える学問だってことに

なっていたんだ

だから化学者代表の

オストヴァルトさんと

物理学者代表の

ボルツマンさんの

論争って言えるのかもしれないって

考えちゃうんだ

連続と不連続

化学と物理学の論争って書いたけど

もう一つの捉え方もあるんだ

はるか昔から続いてきた論争

デジタルvsアナログ

そう 不連続と連続の論争って側面もね

現在ではエネルギーも原子も

違う側面で語られているけど

当時の発想はエネルギーは

物質じゃないという

捉え方をされていたんだ

量子力学流に言えば

波のような『状態』

言い換えれば

連続して存在するものだと

考えられていたみたい

当然 原子は粒子という

一個二個と数えられる

不連続な存在だと

考えられていたんだよね

当時は急速に発展していった科学の

地盤が固められていた時代

古典物理学の領域では

新しい進展は無い

とまで言われていた時代だったんだ

物理学としての

モノの法則性が

確立されたとなると

そこからは化学の出番

古典力学の考え方は

世界は連続した価値観の中で

動いているとされていたんだ

だから エネルゲティークは

当時の物理学の

代表的考え方だった

といってもいいかもしれない

そして その法則性は

化学の分野の基礎とも

なっていたんだよね

ただ発展を止めない物理学は

新たに『原子』という

概念の探究に突き進んでいった

連続した『状態』

として捉えられていた

『モノ』の世界に

原子という

最小単位の積み重ねという

不連続性を持ち込んだ

ボルツマンさんの『原子論』が

当時の科学界を

大論争に巻き込んじゃった

そんなところじゃないかな

この連続と不連続

デジタルとアナログの論争は

はるか昔の時代から

続いているよね

哲学だけじゃなく

神学も自然科学も

この戦いからは

逃れられないみたいなんだ

これは現代でも続いているし

時代によって

その優劣が変わっちゃうから

困ったもんだ

初期の量子力学成立時では

あきらかにこの論争

『原子論』に軍配が上がっちゃった

じっさい『エネルゲティーク』は

歴史の陰に消えちゃったんだ

でも 連続と不連続の論争は

今でも続いているんだよ

たとえば宇宙のビッグバン説では

原子や素粒子は

エネルギーから生じたことになっている

相対性理論では

有名な『E=mc2』で

質量はエネルギー

だってことになっちゃった

(質量って物質の属性ってことになっているんだ)

なにより量子力学の発展

現代盛んに言われている

『場の量子論』は

エネルゲティークの変種

と言えるかもしれないんだよ

原子はモノとしての

実体のあるものと認識されているけど

その原子は『場』ってものの

生成物だって意見が

主流になりつつあるよね

ではその『場』ってのは

いったいなんだ? って

ことになるじゃない

量子論っていうのは

連続と不連続を

なんとか取り入れようとした

折衷案なのかもしれないよね

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